後悔はないと言いたいけれど

後悔や葛藤

後悔はない、と言いたい。
その言葉は、嘘ではないと思っている。

それでも、心のどこかに
小さく引っかかっているものがある。

お金さえもう少し余裕があったら、
働き方を調整して、
父と一緒にいられる時間を
もう少し増やせたのではないか、
そんな思いが残っています。


私は、介護士として長く働いてきた。
仕事として、たくさんの利用者さんと関わり、
一人ひとりに合ったケアを考えてきた。

だからこそ、
父の介護が必要になったとき、
「こうしたら楽なのに」
「こうしたら、もう少し安心できるのに」
そんな考えが、自然と浮かんできた。

分かっているからこそ、
できなかったことが目についてしまう。
知識がある分、
「もっとできたはず」という思いが、
消えずに残ってしまった。


もし、
働かなくても生活ができていたのなら。

父のケアを、
最後まで自分の手でしてあげたかった。
それが、今でも正直な気持ちです。

誰かに任せることが悪いわけではない。
それが必要だったことも、頭では分かっています。

それでも、
「自分でできたかもしれない」
という思いは、
簡単には消えてくれなくて…


ちょうどその頃、
何か自分にできることはないかと考えて、
YouTubeも始めた。

父のこと、日常のこと、
気持ちをどこかに出したかったのだと思う。

でも、続かなかった。
正直に言えば、
失敗だったのかもしれない。

体にも、心にも、
続けるだけの余裕がなかった。


父が亡くなって、
もう一年以上がたつ。

時間がたてば、
少しずつ気持ちは整理されるものだと、
どこかで思っていた。

けれど実際は、
思い出す頻度が減っただけで、
気持ちがきれいに片付いたわけではなかった。

ふとした瞬間に、
「あのとき、こうできたかもしれない」
そんな考えが、今でも顔を出す。

それは、
お金のことだったり、
働き方のことだったり、
父との距離の取り方だったりする。


この気持ちに、
はっきりとした答えは出ていない。

後悔があるのかと聞かれたら、
「ない」と言いたい。
でも、「まったくない」とも言い切れない。

ただ一つ確かなのは、
あの頃の私は、
父のことを思わない日はなかったということです。

今こうして文章を書いているのは、
あのとき言葉にできなかった気持ちを、
少しずつ置いていくためなのかもしれない。

きっとこれは、
後悔というより、
父と本気で向き合っていた証なのだと思いたい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました